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10月, 2023の投稿を表示しています

宿という箱の中身

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宿は箱に過ぎない。 前々から気付いてたけど、ある宿に泊まって改めて思った。 小豆島の橡人(もくじん)という宿に泊まった。 とっても素敵な宿だった。という言葉では薄っぺらいと感じるくらい、ご夫婦のこだわりや哲学が、宿や彼らの暮らしの中にある場所だった。 あの2人が、自分たちの暮らしの中で本当に良いと思ったものを厳選して置いている。 そして彼らは、建物や空間や暮らし方もすべて含めて「自己表現」として考えていた。 以前静岡でカフェをやっていたけど、表現できる幅に限界を感じたから小豆島に引っ越してきたらしい。 建物、空間、日用品、食べ物や飲み物、、、色々な角度から、彼らのこだわりが感じられた。 彼らが思う豊かさや美しさを全身で表現するために、橡人はある。そう感じた。 面白いなと思ったのは、彼らのやりたいことが「自己表現」であること。 お洒落な宿をつくって流行らせたい訳でもないし、泊まっている人に何か強い影響を及ぼしたい訳でもないように感じた。 あくまで、自分たちの自己表現、暮らしの提案として橡人をやっている。 すごく心地よくて素敵だったけど、私とは違くて面白いなと思った。 彼らのやり方はこれだったんだな、とスッと入ってきた。 それにしても、宿をやる目的は本当に人それぞれで面白いなあと思う。 宿を箱だとすると、その箱の中身がそれぞれ違う。 私は、色々な宿に泊まるのが好き。 それは、「なんでこの宿をやっているんだろう?この人の哲学はなんだろう?」って、その宿の背景を考えるのが好きだから。 鎌倉のaiaoiは完全に作品だった。作品のための宿。 石徹白のあわ居は対話のための宿。 氷見のHOUSEHOLDは余白を楽しんで来た結果できた宿。 今回の橡人は、彼らの暮らしの中にある自己表現のための宿。 なんていうんだろう、、、全部本当に素敵だった。 たぶんそれは、どの宿も彼らが自分たちの自然な心に従ってきた結果だから。無理してないのに芯がある。そこが私にとって魅力的なんだと思う。 私は、大学生の時に沖縄の民宿に泊まったことがきっかけで、いつか小さな宿をやりたいなぁって漠然とずっと考えていた。 でも、色んな宿に泊まったり、宿づくりの講座を受けたり、今回徳島で実際に働いてみたりする中で、自分が宿をやりたい本質的な理由がだんだん分かってきた。 私が宿をやりたい本質的な理由。 「相手に安心してほし...

今日、神山を出た。

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今日、神山を出た。 いつも通りどこかへ遊びに行くように出発したけど、もう戻ってこないのか。 まだ消化しきれてないこの段階で、神山での1か月を振り返ってみる。 1か月とは思えないような濃さだった。 ずっと神山にいたような気がした。そしてずっといられるような気もした。 この1か月で、自分の感覚を確かめながら、さらにその輪郭がハッキリしてきたような気がする。    自然とともに暮らす。そんな他人事みたいな言い方じゃない。 むしろ、合理的に暮らす。その方がしっくりくる。 ものの来る所と帰っていく所を知って、その工程に携わる。 そうするとムダが見えてくる。遊びが見えてくる。自分の知恵が入り込む隙間が見えてくる。 鹿の解体をして、藍染めの工程を知って、栗の渋皮煮を作って、薪ストーブに火をつけて、神山の杉に囲まれて、じわじわとそんな感覚が染み込んできた。 その感覚がすごく心地よかった。どれも本当に楽しかった。 自分に合っている。改めて考えなくてもそんなの分かった。 この神山での1か月は、私の人生で来るべくして来たタイミングのように思う。 自分の「好き」に敏感になってきたタイミング、自分の感覚をより自覚して捉えられるようになってきたタイミング。 感じ取るものがすごく多かった。と言っても、衝撃的な出来事!!みたいなのは別になくて、初めての経験や場所なのに私の中にスッと入ってくる、そんな感覚を何度も経験した、という感じ。 色んな意味でぴたっときた神山だったけど、1か月という期間を伸ばそうとは思わなかった。 大切な事は既に知っている。自分の感覚を掴んできた今、次のフェーズに行く時が来ているような気がしているから。 今後の予定は、ヴィパッサナー瞑想に行く、ネパールに行く、ブータンに行く。 これからまた一つ、自分が変化していくような、むしろもっと自分に近づいていくような、そんな予感がしてる。

私の考え方の土台、生物学

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私の考え方の土台、生物学。 もちろん他のいろんな経験や考え方にも影響されているけど、これが広く土台になっているのは間違いない。 私が生物学にはまったのは、高校の生物の授業。 生物の進化における「自然淘汰」の概念を知った時から。 それまで「進化」って、ピカチュウがライチュウになるみたいに、う~~~ん.......パ!!!って進化すると思ってた。キリンは、「首を伸ばしたいよ~~」ってキリンが思って自分で伸ばしたと思ってた。 でも実際はそうではなくて、自然淘汰によって進化してた。 例えばキリンで言うと、 まだ首の長くなかったキリンの祖先の中に、たまたま突然変異で首の長い個体が生まれて、しばらくはごちゃ混ぜのまま生活できてたけど、何らかの理由で上の方の葉っぱを食べられる個体がより生存に有利な環境になって、首の長い個体だけが生き残れた。 そうすると生き残った個体はほとんど首の長い個体だから、結果的の首が長いという特徴はその種全体のものになる。 これを繰り返していって、キリンの種はあんなに長い首を獲得した。 これが自然淘汰、進化の実際。 当時の私にとってはまじで目からウロコだった。 これを知った日のお風呂は今でも覚えてる。 湯舟で自分の体を眺めながら、 じゃあ、私の手の指が4本でもなく6本でもなく5本なのも、 その中でも親指だけがちょっと離れているのも、 眉毛がここにあるのも、 暑いときは汗をかいて寒いときには震えるのも、 全部全部の特徴にあの過程があったということか、、、、、? それって、信じられないくらい莫大な時間がかかってるじゃん、、、、、 そう思った瞬間、私の頭の中で宇宙が爆発して、ピューーーーっと宇宙に放り出されて地球が小さくなっていって、 途方もない時の流れに押し潰されそうになった。 え、てことは、私のこの体には、地球46億年の歴史が詰まっているってことじゃん、、、! 私のこの体がつくられるのに、途方もない時間がかかっている、、、 私の体は、地球の歴史そのものなんだ。そう思った。 静かだけど物凄く巨大な力にぶっ飛ばされるような衝撃だった。 それから、生き物に対する見方が変わった。 なんでこんな形をしているんだろう。この形質を獲得した背景はどんな環境だったんだろう。 特にワクワクするのは、これらの特徴は誰かが頭で考えたのではなく、 莫大な時間をかけて淘汰されてきたもの...

この感覚を信じる

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この数か月の感覚の変化を記録しておきたい。 6月の初めに涙が止まらなくなって会社を休み始めてから4か月くらい、 確実に感覚が変わってきている。 保険をかけるのはやめた。 「しておいた方がいい」からするのをやめた。 「したい」と思うものだけをする。自然とやる気になるものだけをする。 自分の心に耳を澄まして「今」やりたいことをする。(いつかのために、今やった方がいいことではない) 会社内で一回異動して、それでも全然ダメで確信した。保険をかけた選択をすると、後からその保険の部分が障害になってくる。 もう、選択肢や可能性を残しておく選択はやめた。自分のやりたいと思えることや、好きなことで選ぶ。 マイナスを減らすんじゃなくて、プラスが強いところを選ぶ。 そうして過ごしているうちに、感覚が変わってきた。 自分の「好き」に敏感になった。 直感や感覚が研ぎ澄まされていく感じ。 自分の心の動きを客観的に捉えられる感じ。 言葉で表現するの難しいなー。でも「自分の人生を生きてる」って感じがするんです。 さらに、この感覚を信じることに確信を持てるようになった。 それは、この感覚に従って実行に移したこと同士、好きなこと同士がどんどん繋がってきたから。 思わぬところで繋がっている。またその先に魅力的な人や場所がある。そしてそれは元々好きだった人と繋がっている。 こっちの道でいいんだ、私はやっぱりこっちなんだ!!そういう事が何度もあって、確信した。 自分の好きなことがどんどん繋がって、集約されていく。 でも行動したのは自分だし、選択したのも自分。 好きなものに素直に従っていたら、だんだんその「好き」が大きく、強く、明確になってきた。 この感覚を信じること。私の人生は幸せへ向かっている。