今日、神山を出た。

今日、神山を出た。

いつも通りどこかへ遊びに行くように出発したけど、もう戻ってこないのか。
まだ消化しきれてないこの段階で、神山での1か月を振り返ってみる。



1か月とは思えないような濃さだった。
ずっと神山にいたような気がした。そしてずっといられるような気もした。


この1か月で、自分の感覚を確かめながら、さらにその輪郭がハッキリしてきたような気がする。

  



自然とともに暮らす。そんな他人事みたいな言い方じゃない。
むしろ、合理的に暮らす。その方がしっくりくる。
ものの来る所と帰っていく所を知って、その工程に携わる。
そうするとムダが見えてくる。遊びが見えてくる。自分の知恵が入り込む隙間が見えてくる。


鹿の解体をして、藍染めの工程を知って、栗の渋皮煮を作って、薪ストーブに火をつけて、神山の杉に囲まれて、じわじわとそんな感覚が染み込んできた。

その感覚がすごく心地よかった。どれも本当に楽しかった。
自分に合っている。改めて考えなくてもそんなの分かった。




この神山での1か月は、私の人生で来るべくして来たタイミングのように思う。

自分の「好き」に敏感になってきたタイミング、自分の感覚をより自覚して捉えられるようになってきたタイミング。
感じ取るものがすごく多かった。と言っても、衝撃的な出来事!!みたいなのは別になくて、初めての経験や場所なのに私の中にスッと入ってくる、そんな感覚を何度も経験した、という感じ。




色んな意味でぴたっときた神山だったけど、1か月という期間を伸ばそうとは思わなかった。
大切な事は既に知っている。自分の感覚を掴んできた今、次のフェーズに行く時が来ているような気がしているから。

今後の予定は、ヴィパッサナー瞑想に行く、ネパールに行く、ブータンに行く。


これからまた一つ、自分が変化していくような、むしろもっと自分に近づいていくような、そんな予感がしてる。











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