わたしの経歴


わたしの今まで。経歴をコメント付きで紹介します。
こんな過去を経て今に至りました。書ききれないことたくさん、、、
わたしという人間を知る材料になったら嬉しいです。

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幼少期
1997年生まれ。
恥ずかしがりやで、とにかく目立ちたくなかった。
幼稚園の運動会で全員リレーがあり、それが嫌で嫌で、前日から泣いていたのを覚えています。足は速かったので、当日結局泣きながら前の男の子を抜かしてました笑。とにかく心配性でした。内弁慶だった。



中学校
真面目で、いわゆる優等生だった、、、と思っています。笑
この頃から、勉強が得意だったり、場の空気が読めたり、そういう自分に気付いていきました。
一方で、自分にとって傷付いた出来事が沢山あった時代。逆に言うと、この期間で今に通ずる自分の人格が形成されたと思います。



高校
楽しかった。ダンス部に入り、人前で表現することに慣れていきました。
「勝ち負けのない自己表現」であるダンスは自分に合っていました。
部活や行事を経て、自分のマネジメント能力についてもこの辺から意識し始めました。
また、生物学との素晴らしい出会いもありました。(詳しくはこちら)
数学が苦手で文系を選択していたけど、生物学系の大学に行きたくて理転しました。
この辺から、「普通はしない」選択をすることに慣れていった気がします。
めちゃくちゃストイックに受験勉強をした。あの頃の経験と、大学合格という結果は、明らかに自信になったと思います。



2015年
名古屋大学農学部 応用生命科学科 入学
生物学が好きで、、、といいつつも、思い出すのはほとんどダンスサークルでの記憶。笑
一人暮らしをしていたので、うちで皆んなで鍋をしたり、なんでもない時間を過ごすのが好きでした。みんなが居心地よく楽しく思っている空間が好きだった。
ダンスを通して、社交性も鍛えられたと思います。社会人や他の大学の学生と知り合う機会が多くて、初めましての人と話すスキルはここで身に着きました。

恋愛面では、色んな人とお付き合いしました。その中で、相手や自分の感情と向き合う機会が多く、この頃から定期的にノートに考えていることをまとめるようになりました。



2019年
名古屋大学大学院 生命農学研究科 入学、半年後 退学
学部からそのまま大学院に進学しましたが、もっとワクワクする研究内容に変えたいと思い半年で退学し、翌年東京大学の大学院に再入学しました。
大学院を途中で退学する人なんて周りにいなかったし、「普通」ではない選択だったので、すごく悩んだのを覚えています。

退学してから東大に入学するまでの半年間、いわゆるニートでした。
「やるべきことが何もない」宙ぶらりんな状態が人生で初めてだったので、それはそれですごくストレスを感じました。
就活の真似事をしてインターンを探してみたけど普通の企業には興味はなく、結局北海道の牧場にインターンに行きました。牛さんのお世話をしたり、肛門に手を突っ込んだり(人工授精のため)しました笑。



2020年
東京大学大学院 理学系研究科 入学
東大と言っても赤門のある文京区ではなく、神奈川県三浦市にある三崎臨海実験所という附属施設で研究をしていました。研究内容は、無腸動物のConvolutriloba longifissuraにおける分裂様式についてです(興味のある方は個別で説明します笑)。

振り返ると、この2年間は今の私にとって大きな影響を与えていると感じます。

前の大学を退学してまで大学院を変えた私でしたが、
結局、人生の職業にしていくほど研究は向いていない、という事実に直面しました。
また、同時に当時付き合っていた人との関係でも悩んでおり、
自分の弱い面を直視して向き合った2年間だと感じています。辛かった。

「ここまでやってきたのに」「せっかく決断した道なのに」
当時は無意識にそう思っていたので、本当の自分の感情を受け入れられていなかった。

「弱い自分を受け入れることは、弱い事じゃない」
と気付きました。
自分の内側に向き合い続けたことで、人間性が外側に広がったような感覚です。
(詳しくはこちら

また、実験所のある三崎という場所は本当に最高の場所でした。
「自分に合う場所」を見つけられた。その事実は大きな財産になりました。
愛が深すぎて三崎について話すとキリがないのでここまでにしますが、三崎に行きたいという方がいたらいつでも案内します。



2022年
三菱商事株式会社 入社、1年半後 退職
自分の道が研究ではないと分かり、いきなり就活に放り出される笑
自己分析が大好きな私にとって、就活は辛くもあったけど充実した期間でした。
色んな業界を考えましたが絞り切れず、そんな時、ほぼ全ての業界に関わっている総合商社という業態があるらしいと知り、入社しました笑

希望やわくわくを持って入社した一方で、
大企業の体質がどうにも合わず、
大企業の体質に合っている人たちの価値観とも合わず、
知らず知らずのうちにストレスが溜まっていきました。

真面目な性格ゆえか、「この仕事がどういう意義があるのか」「自分にしかできない仕事なのか」について考えすぎ、違和感を無視できなかった。

最終的には、泣いてから出社、帰宅してから泣く、オフィスでも涙が出てくるというような状態となり、休職→退職しました。
(詳しくはこちら)



2023年9月~
退職してから
徳島県神山の宿で1カ月インターンをしたり、
東京からその徳島まで車で行き、その道中で色んな宿に泊まったり、
ヴィパッサナー瞑想に参加したり、
ネパール・ブータンに行ったり。

その中で、少しずつ、自分の本当にやりたいことが見えてきました。
素「moto」も、その中で始まりました。
(退職後の気持ちの変化についてはこちら)
収入は不安定ではあるけれど、心は超絶安定してた。
誰かの肩書きを借りないで生きている。それが私にとって心地がいい状態だと分かりました。



2024年8月くらい~
だんだんと竹細工に向かう
その店から蒸籠を購入したのをきっかけに、高知県にある竹専門店「竹虎」のインターンに参加。結果、自分の中でしっくりきた部分としっくり来ない部分を感じながら、自分は素材に触れていることが大事であること、職人というより作家性をより大切にしていきたいとを感じました。

このインターンをきっかけに、より強く竹細工に興味を持つようになりました。
古いものが好き、細かい作業が好き、暮らしが好き、好きなことを仕事にしたい。
今までの色んな要素が合わさって、「私には竹細工なのかもしれない」と自然に思うように。
そのタイミングで、大分県の竹工芸訓練センターがまだ募集中だったことに偶然気付き、〆切ギリギリで出願受験。無事通って、2年間通うことになりました。



2025年4月~現在(2025年6月)
大分県立竹工芸訓練センター 入校
平日は毎日朝から夕方まで実習、実習。
刃物の研ぎ方・扱い方から始まり、竹の割り剥ぎ・幅や厚みの取り方などの基本的な竹ひごの作り方を習い、課題の籠を作る。
、、、、、、楽しい!!!
指・腕・肩はバッキバキで、手のひらは傷だらけだけど、それも勲章。
黙々と作業する時間は一瞬で、ひたすら集中する時間が続く。
だけど頭の中では「いかに効率的に・質を高くできるか」を考え続けてる。なんと充実した時間か。

卒業後の稼ぎ方、方向性、材料確保の方法など、考えないといけない事は色々とあるけれど、どれも前向きな悩み。
毎日を精一杯過ごしていたら次につながっていく、という、とてもシンプルな日々を過ごしています。







私の性格
客観的に私の性格を表すもの。
参考までに公開します。

・クリフトンストレングスの結果 → こちら

・MBTI(16 Personalities) → 主人公型(ENFJ型)





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