ブータン
ブータンに行ってきた。
ブータンで、印象に残ったこと、チベット仏教。
チベット仏教、とても素敵だった。
チベット仏教のお寺がすごく好きだった。
色遣いや雰囲気も独特でもちろん好きだったけど、
何よりも、チベット仏教が人々の生活や心の中に染み込んでいる事がとても良かった。
観光名所としてではなく、日々のお祈りの場所としてお寺に人が来ている。
町の至るところで仏教に関するものが目に入る。
お寺が、「神聖な場所」として今も現役で機能している。人々の心の拠りどころになっている。その事実が、その場所のオーラをより強くさせていた。
やっぱり、ブッダすごいわ。
私が以前参加したヴィパッサナー瞑想はあくまでも実践法という形で、
今回のチベット仏教は宗教という形で、
形は色々だけど、2500年たっても人々に広く長く影響を残している。
一人の人間の思想が、2500年経ったらこうなるのかー、、、
日本の仏教との違いを感じて、仏教の広がりがどれだけ大きいかを実感した。
一方で、思ったこともあった。
「宗教は、ヒントでしかない」
崖の側に立つお寺で毎日修行する尼さん。お寺の周りを108回回っている人。
シンプルにそれを実行に移せることに対して、すごいとは思う。
だけど、私にはあまりピンと来なかった。
何か特定の宗教の経典や歴史について、何もかもを暗記したとしても、その宗教の目指す状態には決してなれない。と思った。
言い換えると、その宗教の創始者が望んでいる状態とは、経典を鵜呑みにして実行する事なんだろうか、と疑問を感じた。
昔、自分よりも前に生きていた人が、「よりHappyに生きるには」について一生かけて考えた結果が一つあるだけ。それが広がっただけ。
もちろん、先人たちの真実はとても参考になる。
でも決してそこに「自分の答え」はない。
ブッダの真実、キリストの真実、ムハンマドの真実、、、、どれだけ完成されているように見えても、それは私にとっての真実とは限らない。
答えは自分の中にある。それぞれの自分の中にある。
答えを自分の外側に、「宗教」に求めると、争いが起きたりするのかな。
「それぞれの中に、それぞれの答えがある」ということをみんなが理解したならば、どんな世界になるんだろう。
私は、やっぱり私の真実を見つけたい。
そう思ったブータン旅行だった。