「手仕事」の定義

先日、大分で青竹をやられている作家さんの工房にお邪魔した。 自分で竹林を管理して、材料から完成まで全て自分だけで完結している。 夏は熱中症ギリギリのところで作業して、冬も材料を取りに行くために山に入る。 「それが手仕事」って言っていた。 この言葉がすごい印象に残ってる。 「手仕事」の定義について再考させられた。 というか、元々あまり「手仕事」について深く考えたことがなかった。 自然素材のものを使い、手作業で作られていたら手仕事。そのくらいの感覚だった。 しかも、ここでいう「手作業」も、どこまでの工程を?とかもなく、ただ漠然としてた。 例えば、私が今まで「手仕事」だと思ってつくってきた、ポジャギ、ラグ、クロスステッチ。 既に完成した糸や布を使って縫ったり編んだりしただけ。 確かにこれってこれだけで手仕事と言えるのだろうか、、、。 でもそれを言い出したら、綿を育てるところからやる?蚕を育てるところからやる? でもきっと、そういうことだ、とあの作家さんは言いたいんだろうなと思う。 じゃあ、革細工なら牛や鹿を殺すところから? 陶磁器なら土を掘るところから? ガラスならケイ素を精製するところから? そこまでやらずに「手仕事」だと言っている人はたくさんいる。 「手仕事」には幅がある。 このことに気付かせてもらった。 これは今後の自分にとって、とても大切な発見だと思う。 そして、あの作家さんはその幅の中でもかなりストイックな方に「手仕事」の定義を置いている。 そして、私もきっとそうなる気がする、、 というか、もう気付いてしまった以上、もう見て見ぬフリをすることはできない(泣) 辛い道だ、、、ストイックロード、、、 でももうこっちに進むしかできない。自分を甘やかせない、、、妥協できないタチなのだ、、、(泣) (「自分に対してまごころを尽くすというのは、自分にきびしく、残酷に挑むことだ」 「本当に生きていくためには自分自身と闘わなければ駄目だ」という岡本太郎の言葉が刺さる、、、ぐう、、) たしかに、竹を業者さんから買うのはラク。 でも、その竹がどんな環境でどの方角の斜面に生えていて何年経ったものなのか分からない。 作品を突き詰めようとすると、絶対にこの情報を自分で知る必要が出てくる。 要は、自分がどれだけ作品を追求するか、だ。 別に業者さんから買った竹でもカタチにはなる。...