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9月, 2023の投稿を表示しています

感情至上主義

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感情至上主義。 いつからか、私は自分の考え方をそう呼んでいる。 自分の感情を絶対に否定しない。 「いい彼女にならなくちゃ。だから、彼のやっていることを心の底から応援しなくちゃ」 「生物学が好きでここまで来たんだから、研究者にならなくちゃ」 そう、 無意識に 思っている時期があった。 本当は不満がある。本当は応援できない。本当は研究が辛い。 だけど、そう思うのは私の努力が足りないから。私が未熟だから。そう考えてた。 だから、もっと頑張らなくちゃ。 ある程度はそれで走れる。けど、そういう時はどんな時も、ぶわっと、ひずみが表面に現れてくるタイミングがあった。 涙が止まらなくなったり、相手にひどいことを言って最低な自分になったり。 いつか、本当に辛いのに、だれにも相談できなくて(というか分かってもらえる人が一人もいなくて)、 いのちのホットラインみたいなところに電話をかけたことがある。 私の性格も背景も知らないおじさんに、その時感じてることを話した。 「彼を受け入れて応援しないといけないのに、今の状況をどうしても嫌だと思ってしまって応援できない。」と伝えると、 「それは嫌ですよ。それが、普通な感情ですよ」って肯定された。 その時、心がすごい解けて荷が降りたのを覚えてる。 そうだよね!これが普通な感情だよね!私は、嫌なものは嫌なんだ。って。 あの時、すごい救われたなあ。 それから、嫌だ、という自分の感情をまず受け入れて、そこをスタートにして考えるようになった。 なんで嫌なのか?相手の考え方を受け入れられないから? じゃあお互いどんな考え方を持っているのか?それは歩み寄れるものなのか? こうやって考えていくと、表面的な問題が違う角度で見えてくる。 より根っこの話が見えてくる。 そうすると、前に進める。この時もこれで前に進めた。 (前に進むっていうのは、必ずしも分かり合えるって意味じゃない。分かり合えないという事がハッキリ分かることも、前に進むことだと私は思う。) 私は、自分の本当の心と頭が離れていることにすごい敏感で、ひずみが出やすいタイプだと思う。 でも、どんな人だって、自分の感情を頭で抑え込んでいれば、遅かれ早かれ辛くなってくるんじゃないかな。 感じちゃダメな感情なんてない。 私は、自分の感情をまず受け入れて、そこから紐解いていくことで 自分の行動を選択したり、パートナーと...

「君たちはどう生きるか」を見る②

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、、、ていうような感想だったから、積極的にこの映画の話をあまりしたくなかった。 でも、全く違う視点を得て、その感想が変わった。 WEEK神山で働いている同じ年の女の子と話している時のこと。 「君たちはどう生きるか」の話になった。 私は、正直分からなかった、何を伝えたいのかを分かろうとすればする程分からなくなったと言うと、その子は、 「あれが何か全体として1つのメッセージを伝えようとしているなら、それは分からなかった。けど、色んなシーンで象徴的な画やセリフが散りばめられていて、その中のどれをとっても別にいいし、それは映画を見る人によって変わるものだと思う」 と言った。 刺さった。その通りだと思った。 あの映画から、何を受け取るか、それ自体にその人らしさが出るんだ。 だから、敢えて、情報が多くなっている。 だから、予告や前情報を流さない。 それがイケてるからではなく、真っすぐ、プレーンな心で見た時に何を感じるかがその人を表すからだ。それを偏らせてはいけない。 私は、あの映画の中で、ハッキリとした問題提起がなされると思ってた。 分かりやすいストーリーがあって、分かりやすい問題提起がある。だからそれを探してた。 でも、違った。 あの映画自体が問題提起だったんだ。 あの映画を見る自分自体が、今の自分なんだ。 ぐにゃぐにゃ、粘土みたいな映画。だからこそ「その時」の自分を映し出すんだ。 ゆいなちゃん、すごい。 「宮崎駿」という世間のイメージ・期待を逆手にとって、強制的にスクリーンの前で見る人の偏見や建前を取っぱらったんだ。 戸惑いながらも、考えたこと、印象に残ったシーン、それこそが今の自分。 宮崎さんは、今まで「絵」を作ってきたけど、今回は「鏡」をつくった。そう感じた。 「今まで良いとされている条件には当てはまらず作られていて、強烈な違和感を覚える。 だけど自分が深みを増した時、その作品の見え方が変わるもの。それが本当の芸術」 というニュアンスの岡本太郎の言葉を思い出した。 初めて見た時のあの違和感は、そういうことか、、、。 色々腹落ちした一方で、分かろうとして「分からなかった」と感じてしまった自分はまだまだだと思った。宮崎駿だから、いい。宮崎駿だから、感動するはず。 そういう前提に捉われて見ている自分がいた。 富士山が描いてあるから、キレイ。と同じだわ、、、悔しい。精進します。...

「君たちはどう生きるか」を見る①

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2週間くらい前になるけど、京都の舞鶴八千代館にて「君たちはどう生きるか」を見た。 もう、タイトルがメッセージすぎて、食らうのが目に見えすぎて、良すぎて絶望するのが怖くて、中々見に行けなかった。だから公開からしばらく経ったこのタイミングになってしまった。 舞鶴に滞在中、舞鶴八千代館という渋映画館で見たのだが、 スクリーン入ったら、なんと私だけ、、、!それだけでもうテンション最高潮。 宮崎駿の最新作をスクリーン独り占めで見るという贅沢すぎる環境で始まった。 その日の夜に書いた日記をそのまま書き写す。 ---------------------- 正直、分からなかった。少なくとも今の私には。 「絶対、宮崎さんの思う『君たちはどう生きるか』を私は理解できる」という謎の確信を持っていた分、焦ったし、ショックだった。 全然わからなかった、、、、というか、分かろうとしてしまった。 分かろう分かろうとすればするほどブレて、結局よく分からなかった。 これが宮崎さんの作品て知らないで見たら、私はなんと思っただろうか? それでも、正直に感じたことを記す。 (こう思えるのは、最近、岡本太郎の「今日の芸術」を読んだから。 「○○だから素晴らしい」と思って見るのではなく、自分の感性を基本にする。 だから「分からない」なんてことはそもそもあり得ないし、その時ピンと来ていなくても、その時感じた分だけ受け止めればいいのだ。だから自分の形や深さが変われば、(もしそれが本当に突き詰められている芸術ならば)その時また深みをもって自分の心に届くだろう。 だからまたいつかこの映画を見たいと思った。 少なくとも、この映画を見て、私の中に違和感は残った。完全に。 この違和感を大事にしたい。だから正直に感じたことを記しておく。) 夢を見てるみたいだった。それも特に眠りが深い時に見る長編の夢の感覚とほぼ同じだった。 それから、小さい頃に読んだ岡田淳の「扉のむこうの物語」をすごい思い出した。 螺旋。 ワラワラが昇っていく時、「螺旋」だったな。 「ガラスの仮面」の紅天女の稽古で、北島マヤが自然の中の「螺旋」に気付くシーンがあったな。 「杜人」の矢野さんも、水路を作る時、「宇宙のエネルギーが螺旋だから」って言って水路をくねくねに作ってたな。 「Little Forest」の母からの手紙にも「螺旋」が沢山書いてあったな。 D...

小さな旅

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  会社を辞めました。 頭と心がどんどん離れて行って、虚無になって、 虚無なのにプレッシャーは詰まっていて、ドカン。 訳もなく悲しくなる。悲しくて嗚咽するほど涙が出る。 理由はたぶん複合的で、これが、あの人が、ってことはないんだけど。 そもそも仕事内容に興味がない、結局上司が絶対(大きな組織だから仕方ないって思ってる)、心を開きたい人がいない、「人と人」として話せない、忖度、、、、、 考えれば色々あるけど、でも結局、自分の心を置き去りにしていたことが一番の理由なんだと思う。 だから、置き去りにされて悲しい心と、心を置き去りにしちゃって悲しい頭が泣いていたんだと今は思う。 私にとって、私らしくいる事が、何よりも大切なこと。 今は、頭と心が肩を組んで一緒に歩いてる感覚がある。幸せ。 短い旅をして、自分の感性がどんどん研ぎ澄まされていった。 東京から徳島まで、短い旅をした。 WEEK神山という宿でインターンするために、東京からのんびり3週間かけて、 車で向かった。濃い時間だった。 3週間という短い旅だったけど、自分の中で確実に価値観が変わった感覚がある。 あの非の打ちどころのないお店も、その道中。素敵な場所や人に出会って、色んなことを考えて消化した。 豊かさについて、孤独について、期待について、、、向き合って考えたこと、出会った人のこと、 少しずつここに残していきたいと思っています。

誰かが見つけた正解を集めてるの?

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「誰かが見つけた正解を集めてるの?」  自分に対して発した言葉。 自分の理想に限りなく近い、非の打ちどころのないお店に出会った。 置いてあるもの、考え方、お店のある場所、何もかも。 もはや絶望。私がやりたいと思っていたこと、もうやっている人いましたよ。 例えば、シャンプー・石鹸・歯ブラシ・タオル・お茶・はちみつ等々... 私は、自分が日々使うものを、ひとつひとつ自分の心地いいものに置き換えていく作業が大好き。 できるだけ自然なもので、でもカッコよくて、作ってる人の意志の強さが見えるもの。 日々、色んなお店に寄ったりサイトを見たりして、より良いものを探してた。 「いつかこれにも拘っていきたいな」と思っていたものの正解がそのお店にはあった。 全部、、、いやそれ以上に。 めちゃくちゃテンション上がった。最&高やん。言う事ない。 もうこの会社に就職しようかしら、とすら思った。 けど、帰りの車の中では何かモヤモヤしていた。 松山油脂の石鹸が置いてあった。木村石鹸のシャンプーがあった。 色んな宿にもよく泊まるけど、イケてる宿には大体松山油脂の石鹸がある。 その流れって、どこから始まったんだ、、、? もしかして、、、、、私は、ただ、「それっぽい」お店においてある商品やサイトをたどっているだけなのではないか?大きな流れの中にいる一人にすぎない? そんなの、都内の「それっぽい」カフェ巡りしてるのと変わんないじゃん。ブランド物を持つことで満足感を得てるのと変わらないじゃん。 あの店に置いてあるから、それが「丁寧な生活」の正解なの? 私は、誰かが見つけた正解を集めてるの? ただ、それっぽいものを集めるだけでは、私の感じる豊かさ、満たされとは違う。 それが、本当に素晴らしいものか否かは置いといて。 最初は自分で考えて積極的に選択してきたはずなのに、いつのまにか変わってしまっていた。 「豊かだよ」を他人から渡されたって虚無だ。自分で見つける。自分でつくる。 自分が今まで求めていた理想にほぼ近い空間に出会ったことで、感情の変化が生まれた。 その決意と、自分でつくることの一歩目としてステッカーを作りました。 自分用だったけど、制作単位が100枚からだったのでもし良かったらどうぞ。送料込みで150円にします。DMやLINEで連絡ください。さらさらしてて、本当に紙に鉛筆で書いたような質感です...

思想記

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高校生くらいから、自分の思想が溜まってきたら、思ったことをそのまま紙に書き出す作業を続けている。 ずっと、自分のためだけに書いてきたけど、他人も来れる場所に残してみたくなったから、この場所を作ってみた。 思想記。