「君たちはどう生きるか」を見る②
、、、ていうような感想だったから、積極的にこの映画の話をあまりしたくなかった。
でも、全く違う視点を得て、その感想が変わった。
WEEK神山で働いている同じ年の女の子と話している時のこと。
「君たちはどう生きるか」の話になった。
私は、正直分からなかった、何を伝えたいのかを分かろうとすればする程分からなくなったと言うと、その子は、
「あれが何か全体として1つのメッセージを伝えようとしているなら、それは分からなかった。けど、色んなシーンで象徴的な画やセリフが散りばめられていて、その中のどれをとっても別にいいし、それは映画を見る人によって変わるものだと思う」
と言った。
刺さった。その通りだと思った。
あの映画から、何を受け取るか、それ自体にその人らしさが出るんだ。
だから、敢えて、情報が多くなっている。
だから、予告や前情報を流さない。
それがイケてるからではなく、真っすぐ、プレーンな心で見た時に何を感じるかがその人を表すからだ。それを偏らせてはいけない。
私は、あの映画の中で、ハッキリとした問題提起がなされると思ってた。
分かりやすいストーリーがあって、分かりやすい問題提起がある。だからそれを探してた。
でも、違った。
あの映画自体が問題提起だったんだ。
あの映画を見る自分自体が、今の自分なんだ。
ぐにゃぐにゃ、粘土みたいな映画。だからこそ「その時」の自分を映し出すんだ。
ゆいなちゃん、すごい。
「宮崎駿」という世間のイメージ・期待を逆手にとって、強制的にスクリーンの前で見る人の偏見や建前を取っぱらったんだ。
戸惑いながらも、考えたこと、印象に残ったシーン、それこそが今の自分。
宮崎さんは、今まで「絵」を作ってきたけど、今回は「鏡」をつくった。そう感じた。
「今まで良いとされている条件には当てはまらず作られていて、強烈な違和感を覚える。
だけど自分が深みを増した時、その作品の見え方が変わるもの。それが本当の芸術」
というニュアンスの岡本太郎の言葉を思い出した。
初めて見た時のあの違和感は、そういうことか、、、。
色々腹落ちした一方で、分かろうとして「分からなかった」と感じてしまった自分はまだまだだと思った。宮崎駿だから、いい。宮崎駿だから、感動するはず。
そういう前提に捉われて見ている自分がいた。
富士山が描いてあるから、キレイ。と同じだわ、、、悔しい。精進します。ぐう
この日の会話を通して、やっと私の中でこの映画が腹落ちした感じがしたので記録。