「君たちはどう生きるか」を見る①


2週間くらい前になるけど、京都の舞鶴八千代館にて「君たちはどう生きるか」を見た。


もう、タイトルがメッセージすぎて、食らうのが目に見えすぎて、良すぎて絶望するのが怖くて、中々見に行けなかった。だから公開からしばらく経ったこのタイミングになってしまった。

舞鶴に滞在中、舞鶴八千代館という渋映画館で見たのだが、
スクリーン入ったら、なんと私だけ、、、!それだけでもうテンション最高潮。

宮崎駿の最新作をスクリーン独り占めで見るという贅沢すぎる環境で始まった。



その日の夜に書いた日記をそのまま書き写す。





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正直、分からなかった。少なくとも今の私には。

「絶対、宮崎さんの思う『君たちはどう生きるか』を私は理解できる」という謎の確信を持っていた分、焦ったし、ショックだった。

全然わからなかった、、、、というか、分かろうとしてしまった。
分かろう分かろうとすればするほどブレて、結局よく分からなかった。

これが宮崎さんの作品て知らないで見たら、私はなんと思っただろうか?


それでも、正直に感じたことを記す。
(こう思えるのは、最近、岡本太郎の「今日の芸術」を読んだから。
「○○だから素晴らしい」と思って見るのではなく、自分の感性を基本にする。
だから「分からない」なんてことはそもそもあり得ないし、その時ピンと来ていなくても、その時感じた分だけ受け止めればいいのだ。だから自分の形や深さが変われば、(もしそれが本当に突き詰められている芸術ならば)その時また深みをもって自分の心に届くだろう。
だからまたいつかこの映画を見たいと思った。
少なくとも、この映画を見て、私の中に違和感は残った。完全に。
この違和感を大事にしたい。だから正直に感じたことを記しておく。)



夢を見てるみたいだった。それも特に眠りが深い時に見る長編の夢の感覚とほぼ同じだった。
それから、小さい頃に読んだ岡田淳の「扉のむこうの物語」をすごい思い出した。


螺旋。
ワラワラが昇っていく時、「螺旋」だったな。
「ガラスの仮面」の紅天女の稽古で、北島マヤが自然の中の「螺旋」に気付くシーンがあったな。
「杜人」の矢野さんも、水路を作る時、「宇宙のエネルギーが螺旋だから」って言って水路をくねくねに作ってたな。
「Little Forest」の母からの手紙にも「螺旋」が沢山書いてあったな。
DNAの二重らせん構造。
やっぱり螺旋なんだ。らせん、、、


積み木。
あれはどこから出てきたものなのだろう。
でも、意図や意味を考えるのはやめる。無意味だから。分かるならいつか直感的に分かるだろう。
「おもひでぽろぽろ」のように。「卒業」のように。中島伽耶子さんの「we are talking through the yellow wall」のように。


石。
石がすべてのエネルギーや叡智の源で、それを守る番人が実際的な主となっている。
この構図はナウシカのシュワの墓所と同じだと思った。
そして、その石に従えば、悪や苦しみのない平和な世界が訪れる。そして主人公はそれを拒む。
宮崎さんの心の中にあるテーマは昔から変わっていないと感じた。宇宙と人間。
人間の矛盾こそ美しくて辛くて豊かなものだと考えているのかな。
その狭間にいるからこそ思考や文化が深まっていくんだと、少なくとも私はそう思う。


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かなり支離滅裂だけど、これが私の素直な感想。

②へつづく。

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