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濱口 竜介「悪は存在しない」を見る

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(※これから見る方、ネタバレします。)  今まで見た濱口竜介作品の中で、一番好きかも。 やっぱり、映画の中の時間が、現実の時間と同じ速さで流れていた。 回想シーンや、時間軸が行き来することがないから、自然と没入していく感じ。これはHappy Hourを見た時の感覚と同じだった。 でもやっぱり、演者はめちゃくちゃ棒読みで、「これ大丈夫ーーー??w」って最初思うんだけど、途中からはホントに違和感がなくなるんだよね、なんなんだろうあの現象は。 マンガの吹き出しを読んでいるような、小説の「  」を読んでいるような。 だからこそ、演者の上手い下手に左右されず、逆に感情移入しやすくなるってことなのかな。。。不思議。 それから、 途中、「これ、めちゃめちゃよくある話じゃん」ってことに気が付いた。 地方で新しい施設を建てようとしてる都会の人と、それに反発する地元住民。 だけど地元の人の生活を知る中で、段々と打ち解けていくハナシ。 展開なんて、完全に読めたはずなのに、そういうのが自分は一番冷めるはずなのに、 何故か普通に引き込まれていた。 「世間でよく聞くストーリーって、頭では知っているつもりでも、自分が実際に経験したら全然違う」 この感覚に近かった。 つまり、時間の流れを「映画」にせず「現実」と同じにすることで、まるで自分がそこにいるように、感情のちょっとした変化にも付いていける。 そうすると、まるで自分がそれを経験しているように没入できる。 だから、客観的に見ればよくある話なのに、すごく引き込まれる。 ああ、じゃあこれは、結局グランピング施設がとてもいい形に落ち着きました!ってハナシになるのかな?なんて思っていた。 からの衝撃の展開、、、、え、怖!! で、そのまま、何も分からないままクレジットが流れ始める、、、えーーーー 今までがものすごくリアルだったからこそ、最後の展開が際立っていた。 あの、何も分からないまま放置される感じ。 ぺぺぺ(渡邉知樹さん)の個展で読んだ絵本「ブタミの憂鬱」が思い出された。 すべてのシーンのリアルが、ラストを際立たせるためにあるような気がした。 「八日目の蝉」を見た時と同じ感覚。 時間も2時間だし(Happy Hourは5時間超えw)、 内容も、コロナやリモート、マッチングアプリが散りばめられてて、今っぽくてとても見やすかった。 おすすめです。...

父からの返事

  しばらくして、父からの返事が来た、、、! 「はなちゃん、お手紙ありがとう。 父も一昨日の朝、おもわず強く言ってしまって気になってました。ごめんね。 そして率直にはなちゃんが感じていることを伝えてくれてとっても嬉しく思います。はなちゃんが言っていること、一つも間違っていないし全く同感です。 なぜテレビのニュースを見ていてああいう言い方になってしまうか、ちゃんと話さないと分からないし、人の気持ちや考えを無視した物言いに聞こえてしまうのは当然だと思う。自分のコミュニケーションが不足していたと反省しています。 折角の機会なので、「なぜ怒っているか」を少しだけお話するね。」 ここまでで、もう十分だった。 まっすぐ受け入れてもらえて、嬉しかった。 怒るんじゃないか、跳ね返されるんじゃないか、って不安だったから。 伝えてよかった。 この文章の後、父は、なぜニュースに対してああいう言い方になってしまうのか、過去の経験を含めて説明してくれた。 内容は省くけど、父は最後にこうやってまとめた。 「そんなことをいつも思っています。 真面目に頑張っていたら、ひとそれぞれ幸せな暮らしがおくれる、そんな日本にしたいなって思っています。」 なぜ父が起こっているのか、その理由や気持ちが理解できた。(全てを共感できたわけではないけど、でも理解できたから十分。) 詳しく説明してくれて、ありがとう。 そして、受け止めてもらえて嬉しいです。 前よりも、いい関係になれたかな。 期待するのって、怖い。 けど、あの時、思い切って期待してみて良かった。

父に手紙を渡す。

  車の中。 ぐるぐると考えていた。 さっき、父の部屋に手紙を置いて出発した。 そのうち気付くだろう。 怖かった。 確実に、「私が」波紋を起こしている。 私が手紙を渡さなければ、今までと何も変わらない。 今の父との関係は、とっても良好だと思う。 この関係性が、崩れてしまうかもしれない。 手紙を渡すことで、作用が起こる。 避けて通れる作用を、私は自ら起こす。 怖い。 もしかしたら、伝えたかった感情は、自分勝手な感情なのかもしれない。 傷付けるかもしれない。 そこまで言う必要のあることなんだっけ、、、自信がなくなってくる。 「良かれと思って」 という、理由や責任を相手に押し付ける悲しいパターンなのか、、、? 波風立ててごめんなさい。 それでも、私は、私の、あの悲しかった気持ちを優先させます。 関係性がより良くなることを期待して、そこに希望を持って、私は手紙を渡します。

父に手紙を書いた。

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 父に手紙を書いた。 朝、ちょっとしたことがあった。 けんかってほどではないけど。 父は、色んなニュースに対して否定的な意見を言う癖がある。 その日も、テレビを見ながら結構強めに言っていた。 いつもは、私は悲しい気持ちになりながらも、黙ってスルーするんだけど、 その日のニュースは私も以前住んでいた地域のことで、内容にもある程度共感できたからこそ、特に気になってしまった。 「お父さんて、変化に対していつも文句言っているよね」 つい、言ってしまった。ポロっと口から出ちゃった感じ。 結構強めに言い返された。 内容はあんまり言いたくないから書かないけど、そのニュースに対する私の知識のなさを指摘してきたような感じ。 そのまま会話は終了。直後、父は気にしてない風だったけど、気にしてない“風”だと思う。 父は出勤してった。 、、、図星だったんだろうなあ。 後からジワジワとそんな事を考えていた。 たぶん、図星だったから、つい反発して言い返したんだろうな。マウント取ってきたんだろうな、、、ダサい、、、。 本当は、「え?そうかな?いつもそう感じてるの?」とか言ってほしかった。 受け入れてもらって、建設的な話をしたかったなあ。 ニュースに対して強めに言っているのも悲しいけど、あの対応も悲しくて、その日一日ずっと気になっていた。 今、実家には、春から大学生になって上京してきた従妹が一時的に居候中で、 夜、ふと彼女に相談してみた。 彼女は、私が思ってた以上に大人で、しっかり考えてて、おばさんびっくりだよ。笑 手紙書いてみたら?と言われた。 私は、正直諦めていた。 もうここまで来たら人は変わらないだろうし、今さら言って波風立てるより、そっとしておいた方がいいだろうって。 でも、彼女は、(本人は無意識だろうが)まだ「理解し合える」という希望を持っている。 だから、手紙を書いて伝えるという行動を思い付くんだろう。 私は、彼女の持っている希望に惹かれた。 本当は、理解し合いたい。 だけど、「結局人と人は理解し合えないんだ」と思わされる経験を何度もして、絶望して、もう諦めてた。いい意味でもね。 だから、今回は、彼女の助言通り、素直に手紙を書いてみようという気になった。 伝えてみよう。どう受け止められるか分からないけど。 そう思って、父に手紙を書いた。 物事に対して否定的な意見を言うこと、 それ...

占い

  気付いたら、占いの捉え方が変わってた。 昔: 「全てのものは素粒子でできていて、科学的に証明されないものを信じることは無意味。 自分以外のものに大切な判断を任せたくない。 結局自分のことは自分が一番よく分かっているのに、見ず知らずの他人に干渉されたくないわ。」 ちょっと極端だが、まあこんな感じ。笑 今: 「合ってるとか合ってないとか、占いはそもそもそういうことを厳密に考えるものではない。 占いをしているその時間を楽しむ。 どんな占いの結果だったとしても、それに対してYesかNoかは分かる。何でもいいから考えるきっかけをくれるもの。 結局、大切な判断は自分が決めることに変わりはない。」 こう見ると、むしろ昔の方が占いの結果をピュアに受け止め過ぎてしまうから、逆に反発しているように見えるな、、、笑 昔は自分に自信がなかったから強がってたのかもしれない。 最近、タロット占いを受ける機会があって、すごく楽しんで聞けている自分に気が付いた。 なんだかすごく嬉しい変化。 昔、暇つぶしで友達と手相占いに行って、占い師さんが定規を使って手相を見ているのを見て、「私にもできるじゃん」って思って詳しく聞きまくったらすごい嫌な顔されたのを思い出した。笑 昔はこんな感じで超理屈女だったから。(今もか)

感情を手放す

感情を手放す。 ぽんっと手放す。 怒りを、大事に大事に抱えているのは自分。 実は、怒りたくて怒ってる。 大事に抱えていた怒りの種を、ぽんっと手放す。 そうすると、怒りは無くなる。 それが最近少しだけできるようになった。 何でもいいから、楽しい時間を多くしよう、と思えるようになったのも最近のこと。 誰かの気になる発言、嫌な出来事、ちょっと思い出しちゃった過去の記憶。 そういうのって、ずーっと、ずーーっと考えれちゃう。 それで、どんどん気分が下がって、答えは出ないのに考え抜きたくて、 ずっとはまって抜け出せない。 そういう時、何か楽しいことが起こったり、例えば誰かが楽しくさせようとしてくれても、素直に受け止められない。 今考えているぐるぐるを、放り投げちゃいけないと思っていたから。 ちゃんと考え抜いて、私なりの答えを出してからじゃないと、楽しんじゃダメだと思っていたから。 「とにかくその時間が楽しければ何でもいい」 ある人と話している時、そんな事を言っていて、いつもだったら「適当な人だな~」と思うんだけど、その時はなぜか、私もトライしてみようという気になった。 目の前で起こっている楽しいことに心を向ける。 ぐるぐるの答えは出てないけど、捨てる!放り投げる! ちょっとわざとでも、無理やりでもいいから「楽しいね」って言う。 意味なんてなくていいから、楽しいことを、楽しむ。 楽しい時間を過ごすことに意味があるんだと知った。 負の感情って意外に手放せるかも。 最近、自分の性格が少しずつ変わっているのを感じる。

手仕事とスイカゲーム

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香りの調合を出店をするということで、看板が必要になった。 なんか、普通の看板はやだなあ、、、 ということで、看板を縫うことにした。 分厚い紙に、きりで穴を開けて、レース糸を二本どりしたものを波縫いしていく。 今回は額縁みたいにしてみた。 この作業が、もう楽しい。 レース糸は絡まるし、まず穴を開けてからだからものすごく時間がかかるんだけど、 中毒性がある。 他のこともやらないといけないのに、手が止まらなくて、、、 結局、朝始めて気付いたら夜になっていた。 なんかこの感じ、知ってるな、、、 と思ったら。 スイカゲームです。 去年妹に教えられてから、もう誰もやっていないのに私だけ続けてるゲーム。 しかも海賊版。(ウェブでできる無料のやつ) 物理的にスイカ2個は作れないってハッキリしてんのに、 だからもう何もやる意味がないのに、何となく開いてやってしまう。 なんというか、単純作業に集中することで脳みそが休まる感じがして、ついやってしまう。 この感覚が、看板を縫っている時の感覚ととても似ていた。 よく考えたら、昔からこういう手仕事、縫物、細かい作業が大好きだった。 さらに、ただ動物に飛び移って走り続け、走行距離を稼ぐゲームや、 ひたすら定食を提供するゲームなど、「何の意味があるの」系のゲームもハマりがちだった。(だから敢えて始めないようにしている) 点と点が繋がった。 私は、無意識のうちに思考が巡って、常に頭の中で何かを考えてしまうタイプなので、 こうやって意識的に無心になれる作業を求めていたのだ。 まあ、「これ分かったからなんなの」ではあるが、 個人的にピーン!と電流が走ったことだったので書かせてください。 手仕事とスイカゲームの決定的な違いは、生産性の有無。 これから、スイカゲームの時間が手仕事の時間に変わりますように。 縫う看板のご依頼、お待ちしております。

現在位置を確認する→進む

よく分からない。 なんか気分が晴れない。 なぜか微妙な気持ち。 ↓  脳内そのままを紙に書く ↓ 思考が繋がっていく ↓ 紙に残っていくから、思考が空回りしない。 ↓ だんだんと、原点に戻っていく。 ↓ 現在位置が分かる ↓ じゃあ、次に何をすればいいのか分かる ↓ もう後は行動するだけ たまたまノートをあんまり書けてない日々が続いて、気付いたらモヤモヤが溜まってた。 ふとした時(移動中、信号待ち、お風呂)に考えてみるけど、完結しないまま時間が終わる。 だめだ!と思って、ちゃんと時間を取って紙に書く。 どんどん整理されて、なんだ、スッキリ!! こうなったらすぐ行動できちゃう。行動したら、また次が見えてくる。 私にとって、やっぱり言語化は大事なんだと、改めて気付かされる日。