「生きがい」だけど「仕事」じゃない。


去年の年末に 電話 素「moto」を始めて、現在までに15人ほどの人とお話させてもらった。

ここまでやってみて感じたこと。
考えていること。
今のリアルな気持ちを書きます。


__________

違和感が全くない。

何でこれをやってるんだろう?とか、
これをやって何になる?というような疑問を全く感じない。

電話が終わったあと、毎回すごく満たされた気持ちになる。
「今回も良かったなぁ☺️」という気持ちになる。

私との対話を通して、相手の気持ちが安心して、前向きになったと感じるとき、
すっごく嬉しいし、なんか愛おしい気持ちになる。

もちろん相手の気持ちが明るくなったその事実が何より嬉しいけど、
それに加えて、私自身も「自分の能力や人間性を相手のために使えた」と実感できて、とても満たされる。自分の承認欲求が満たされているのかもしれない。
自分にしかできないことをしている、というような。


とにかく、全然違和感がない。「これだ」
違和感に超敏感人間な自分が違和感を感じないというのは、本当にズレがないということなんだと思う。
きっと、表面的な形はこれから変わっても、本質的な部分は変わらないんだろうなと思った。


motoは、私にとって「生きがい」である。

これから人生で経験する全てを、この時間に昇華していきたいと思った。






一方、悩んだことがあった。
電話 素「moto」の対価について。

今、私は無職である。お金に対する不安がある。
だから、お金をもらう事も一瞬考えた。

、、、でも、お金をもらう事を前提とした時に、私のやりたいことの本質は保たれるのだろうか?
、、、私は何のためにこれをしているのか?


「相手に安心してほしいから」


お金を支払って行われる会話から、その人は安心を得られるのだろうか?
お金を支払って得た場所を、居場所と感じられるのだろうか?
「花もどうせ仕事でやってるから」
無意識にそう思われてしまうんじゃないか。それ以前に、私が会話をこなすようになってしまう気もする。
私が望んでいるような会話から、少なからず遠ざかってしまうような気がする。

相手が安心できる時って、「今話している相手が、本気で自分の事を想っている」と感じる時な気がする。

お金を頂かないでやっているということは、本気でその時間が好きだからやっている。
何よりもその事実そのものが、相手が安心できる材料の一つになるのではないか。

そう考えて、私は料金を前提としないで、電話 素「moto」をやることに決めました。

本当にやりたいことはプライスレスであり続けたい。






素「moto」は、「生きがい」である。
だけど、「お金を稼ぐ手段=仕事」ではない。

本当にやりたいことをプライスレスでやり続けるために、その周辺で現実的にお金を貰わないといけない。

その方法をどうするか。
これからの私の中心となるものがハッキリした今、目下の課題はこれです。


参考までに、今考えている仕事のイメージはこんな感じです。
・ 他者が安心できる or 居場所と感じられるような瞬間がある仕事
・ 自然と関われる仕事
・ 個人でものづくりをする
・ 宿を持つ




休職してから今までは、自分の本当にやりたい事を見つける期間だった。
これからは、それを軸にどうやって現実的に形にするのか、考えていく期間。
また無限の可能性に放り出されました。


これが、自分の仕事をつくっていきたい人間のリアルな課題です笑
これからどういう形になっていくのか、面白がって見ててもらえたら嬉しいです。








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