「自分探し」という言葉がきらい。

「自分探し」という言葉がきらい。
なんか薄っぺらいというか、バカにされてるように感じる。


「自分探し」してる人以外は、自分のこと分かってるのかな?
自分探しは、誰にでも、ずっと、当てはまるものだと思う。


私は今、自分を見つけたからこそ、そこに向かって進んでいる。という感覚。
自分のやりたいことが見えてきたからこそ、それを現実的に成立させる方法を模索中なのである。

自分探しという言葉がきらい、というよりも、
本当は私の状態はそれではないのに、私の表面的な状態を見てそう表現されることにムッとするんだろう。


しかも、「自分探し」って、まるで自分から見えないところに自分がいるような言い方。

私は、それこそ「自分探し」である内省を続けてきて、本当の自分はすぐ足元にいると分かった。
本当の自分の感情や、やりたいことはすぐ手元にある。


そして、motoをやってまだ20人くらいだけど、
それは皆にも当てはまることだと思った。

みんな、自分の「好きなこと」や「やりたいこと」はすごく遠くにあるから探さないと!って思ってる。
だけど、話を聞いていくと、本人も気付かないうちにもう見つけてたりする。

必要なのは、それに自覚的になるだけ。

だから、「自分探し」と聞くと、そもそもその言葉に違和感を感じる上に、
私はその状態ではないのに、と感じるからちょっとムッとなる。



っていう青い話です。







このブログの人気の投稿

わたしの経歴

香りの調合

試験前夜

竹細工かもしれない